1954-11-17 第19回国会 衆議院 労働委員会 第44号
○三段崎参考人 私は旭加工株式会社というごく小さな町工場を経営している者でございますが、終戦以来、労働委員会に関係した時間が長く、ややこういつたような問題に知識があろうというのでここにひつぱり出されたわけでございましようが、私は実際家でございまして、法律学者ではございませんから、今まで陳述された方々のような、そういう堂々たる法律論をここで述べる、こういうわけには参りません。いろいろ見聞きし、体験した
○三段崎参考人 私は旭加工株式会社というごく小さな町工場を経営している者でございますが、終戦以来、労働委員会に関係した時間が長く、ややこういつたような問題に知識があろうというのでここにひつぱり出されたわけでございましようが、私は実際家でございまして、法律学者ではございませんから、今まで陳述された方々のような、そういう堂々たる法律論をここで述べる、こういうわけには参りません。いろいろ見聞きし、体験した
○公述人(三段崎俊吾君) やつぱり苦労を積み重ねて行かなければ本物にはなるまいというふうにお考えになつておるのだと、私は私なりに解釈をいたしております。
○公述人(三段崎俊吾君) 私は過去五期に亘りまして東京都の使用者側の労働委員をいたしております。使用者側の労働委員としての立場からこの問題に対する見解を述べてみたいと思います。それから私は現在の改正労働関係法、その労働法令審議委員会の使用者側の委員をいたしておりまして、現在の改正労働法に或る種の関連を待つております。その立場からものを述べてみたいと思います。もう一つは、私は小さな中小企業を経営して来